ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第3回「ペットロス」エッセイコンテスト
入選作品

― 入 選 ―

「ふぐの弔い」

愛知県東海市
鈴木 政江 (すずき まさえ) 66歳
ふぐ

我家に二匹いたふぐの内、小さい方が死んだ。突然の死だった。朝まで元気でいたのに。

その夜は床についてもなかなか寝つかれなかった。(残った一匹を海に返してやろう)と私は決心した。

翌朝、水槽をのぞき込んだ私は、残っているふぐが急に胸からお腹にかけてポンポンに膨れあがっているのに驚いた。毎日見馴れているはずの目にも異常な膨れ方だった。

「あんた、メタボじゃないの」

と、私はふぐに語りかけた。

「あんたに言われたくないってよ」

いつの間に来たのか夫が背後で笑った。普段から私は、くびれのなくなったウエストを夫にからかわれているだけに返す言葉がない。いつもはゆったりと泳いでいるふぐが今日は何故か勢いよく泳いでいる。夫が

「卵を抱いているんじゃないか」

と、言った。

私の中では、死んだ小さいふぐは女の子でこの子は男の子と決めつけていた部分があったので、夫の言葉はピンとこなかったが、翌日、ふぐは夫の言葉を裏付けるように水槽の底に白い卵を産んだ。それはちょうどテーブルの上にこぼした牛乳を連想させた。

偶然、翌日の朝刊に写真入りで『クサフグの集団産卵』の記事が載った。『南知多町の海岸で満潮が近づく午後四時頃、雌雄交じって波打ち際にひしめき、産卵後は再び波に乗って海に戻っていった』というものだった。その記事で私は初めて我家のふぐが「クサフグ」という種類であることを知った。本来ならこのフグ達の群の中にいたかもしれなかった我家のフグのことを思った。彼女もまた潮に導かれての産卵だったのだろう。ひとりぼっちの産卵は不毛の営みであった。

「間に合わなくてごめんね。必ず海に返してやるよ」

来年こそ仲間達と群れて浜にきて欲しいと思った。

しかし、翌日彼女は死んだ。さびしい死であった。誰にも看とられず、ひっそりと死んでいた。

どんなに深い愛情を注ごうとも、海の魚を狭い水槽に閉じ込めることの愚かさを思い知った。

海の魚を我家で飼うようになったのは、一年半ほど前だった。夫が釣ってきた一匹のソイがきっかけだった。私は駄々っ子のように、その魚(ソイ)を飼いたいと夫にねだった。夫は苦笑しながら水槽だ、海水だと奔走してくれた。その後も釣りに行く度に水槽の魚は幾種類も増えていった。

夫と私は、しばらく黙ったまま主のいなくなった水槽をぼんやりと眺めた。水草だけがわびしく揺れている。

「あいつら、ほかの魚の尻尾を食ったな」

夫がぽつんと言った。

「そうなのよね、私はあなたに言われるまで気がつかなかったけれど、メバルの尻尾の先が鋸の刃みたいにギザギザになっていた」

私達にとっては、どの子もかわいい魚達である。夫と私は大急ぎでもう一個、同じ大型の水槽を買いに走った。

水槽は二階建になった。ふぐはそのまま上の水槽に、他の魚達は下の水槽に移した。どのくらいの日を要しただろうか、メバルの尻尾はきれいに揃ってきて私達をほっとさせた。ところが昨年の夏、何故か下の水槽の魚達がバタバタと死んでいって、ついに下の水槽は空になってしまった。気落ちしたのか夫は、全く釣りに行かなくなった。

夫と私は暇さえあれば、日に何度でも水槽をのぞき込んでふぐの健康を気づかった。ふぐは、ときにひょうきんにギョロリと目をむき、ときにつぶらな瞳をめいっぱい見開いて小首を傾けるようなしぐさをして私達を楽しませた。

「メバルの尻尾を食べたのは、餌が足りなかったんじゃなくて、ふぐの遊びだったと思うよ」

と、私が言うと夫も「ふふ」と笑った。きっと夫にも思い当たることがあったのだろう。

彼等は退屈な年寄りの毎日を癒してくれた。夫は畑仕事の合い間に水槽の水を換えるために海岸まで走らなければならなかったし、仕事で疲れて帰る私を魚達は様々に工夫した表情で迎えてくれた。

魚に餌を与えている時の夫は実に楽しそうで餌やりが済んでも一向に水槽の前から離れようとしない。

「ねえ、私と魚とどっちがかわいい」

「そりゃ、魚は文句を言わない」

私はゲラゲラと笑いころげたものだった。

こうして夫と私は空の水槽の前でしばらくの間、魚達の思い出に浸った。

これは私達夫婦の死んだふぐへの弔いでもあった。


《第3回コンテスト入賞作品一覧(4篇)

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