ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第3回「ペットロス」エッセイコンテスト
特選作品

― 特 選 ―

「つながり」

栃木県大田原市
池田 圭一郎 (いけだ けいいちろう) 46歳

小学生の頃犬を飼っていた。名前はフー太、うす茶色の雑種である。

フー太は家族全員によく懐(なつ)いた。加えてお手やお座りをすぐに覚え、無闇に吠えたりせず、排便場所等きちんと守る利口な犬だった。それが飼い始めて二年目頃からだ、病気勝ちになってきた。最初は耳の病気、次いで四肢の皮膚の病(やまい)、その次は呼吸器疾患だった。フー太が病気になるたびに、父と私は彼を自宅近くの犬猫病院に連れて行った。いずれの病気も長期の治療(通院)を要した。

ある日、担当の小林先生から、フー太の体は遺伝的に弱いことを告げられた。私はショックだった。私自身の体が生まれたときから病弱体質であったかのように感情移入してしまい、体の力が抜けてしまったことを憶えている。

その日以降、それまで以上に、家族皆(みな)してフー太の食事に注意を払った。皮膚に良いシャンプーを探したり、冬には加湿を心掛けたりと、食事以外の生活環境にも気を配った。それでもフー太の体質が改善されることはなく、年齢を重ねるごとに別の病気を併発、ついには肺炎でこの世を去った。彼が逝(い)った場所は小林先生のいる犬猫病院だった。フー太は私の家族三人と小林先生に看取られ、天国にのぼって行った。

両親が死後の手続きを打ち合わせている最中、私は、病室の外の待合室の長椅子に腰掛け、うなだれていた。そうしてどれくらいの時間が経ったときだろう、何かにふっと誘われるように顔を上げた。と、クリーム色の壁に貼ってある『飼い主募集』の小さな紙が目に入った。

私は知っていた。小林病院では捨て犬や捨て猫を自ら保護し、あるいは他人から預かって面倒をみていたことを。ただ、幾度にもわたる来院時、そのことを気に掛けることは一度もなかった。既にフー太という友を得ていた自分にはまったく関係のない話だと思っていた。無論、捨て犬や捨て猫たちのことにも興味はなかった。

でもそのときだけは、件の貼り紙の文字から目が離せなかった。

『飼い主を募集しています。当院で飼っているワンちゃん・猫ちゃんを世話していただける方いらっしゃいませんか』

病室から出てきた小林先生に私は、「先生あれ」と言って貼り紙を指差した。私の意志を即座に読み取ってくれたのは先生の横にいた父だった。「生き物というのはいつか必ず死ぬんだ。だからまた今日のように悲しい思いをすることになるぞ」

私は目尻に固まっていた涙を指で拭い、「分かってる」という風に父と母、そして小林先生に頷いた。

父は私の目を真っ直ぐに見詰め続けた。私は視線を逸らさなかった。新たな命を育てたいという強い思いが幼い私の全身を衝き動かしていた。今日のような悲しい別れの日が再び来ようとも、私はそうせずにはいられなかった。

「なるべくフー太に似てる犬がいいよね」先生は言った。

「どんな犬をもらってもフー太の代わりにはならないのよ」という母の言葉に私は、それも「分かっている」という意を込め首肯した。当時の私に命の大切さや尊さが理解できていたとは思えない。しかし、次に飼う犬をフー太の代替品にしてはいけないという思いだけは持っていた。壊れた玩具の買い替えとは絶対に違うのだ、と。

「新しい友達は病院の裏にいるから見に行こうか」と小林先生は言った。

私は頷いたあと、「その前にフー太にお別れを言いたい」旨の気持ちを先生に向かって投じた。

私は病室に入り、フー太の側(そば)に歩いた。

彼は白い寝台の上にいた。安らかで、清らかな寝顔だった。

小林先生は静かに微笑んでいた。父もまた、穏やかな笑みをたたえていた。

そのような父の顔、私はそれ以前にも見たことがあった。

祖父(父の父)が亡くなったときだ。そのとき私は泣いた。父も母も涙していた。涙のあと父はしごく優しげな顔で、「人の命は永遠につながっていくんだ」と幼い私に言った。それはしかし、父(じぶん)自身にも言い聞かせるような、凛とした口調だった。今考えると父のあの言葉は、祖父の命や意思(遺志)は父にバトンタッチされ、父のそれらは私が継いでいくという意味に相違なかった。

人のつながりを知っていた、あるいは懸命に理解しようしていた父だからこそ、実父を失ったという大いなる悲しみの中でも、柔らかな表情を取ることができたのだろう。そう、あのときの穏やかな笑顔は、悲しみを超えた強さと決心のしるしだった。

今、私は思う。人間以外の動物にもまた、命や意思、あるいは心のつながりがある。フー太は子孫を残せなかったが、私の中に彼の命が今も息づいている。フー太の次に飼った犬にも私は支えられた。生きる力をもらった。チャッピーは山の中に捨てられていたオス犬だった。小林病院が彼を保護し、私があとを受け継いだ。そのようなバトンもまた、大切な「つながり」なのだと私は思う。


《第3回コンテスト入賞作品一覧(4篇)

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