ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第4回「ペットロス」エッセイコンテスト
特選作品

― 特 選 ―

「ポッキーの桜の木」

三重県津市
丹羽 美香 (にわ みか) 62歳

庭の桜の花が満開になる頃、どこからともなくポッキーが現れ、嬉しそうに庭を走り廻る。そして花びらが風の象に流され、庭が真っ白に染まる頃、花びらにのってポッキーの後姿は去っていく。それは春の日差しを浴びた懐かしい記憶。その後、桜の木は庭の空を覆い尽くすほど枝を広げ、子供達も大人になって家を離れた。

ポッキー

子供達が小さかった頃の我が家の主役は犬のポッキーだった。食後のひとときは、誰かが彼を外から抱いてきて、家中に笑い声が弾けた。しかし、子犬の頃はぬいぐるみのようで部屋に馴染んでいたが、大きくなると、小さな子供に抱かれる姿もぎこちなく、無様で失笑をかい、次第に主役の座はハムスターのふくちゃんにかわっていった。その頃になると彼の姿は自作自演の影絵となって、皆の前に現れた。夜になって玄関に街灯が灯ると、ガラス扉に犬のシルエットが浮かびあがる。ガラス扉の向こう側に座る、ポッキー主演の影絵の時間が始まるのだ。扉に耳をあてて、内側にいる私たちの会話を、一言残らず聞き漏らすまいとじっと耳を傾ける。ポッキーのポの字でも耳にすれば、その影絵の耳はピンと立ち、扉ににじりよる様子が手にとるようにわかった。いつまでもいつまでも座り続ける姿にほだされ、扉を開けると、一目散に台所の椅子に駆けあがり、伏せの姿勢をとる。そこに静かに座っている限り、誰にも咎められない事を彼は知っていた。

そんな彼にも、一年に一度だけ家に招かれる楽しい一日があった。それはクリスマスイブの日。大嫌いなシャンプーから逃げ出して、廊下をすべりながら走り廻ることから一日が始まった。やがて料理も出揃い、ハムスターのふくちゃんを背中に乗せてスタンバイ。ふくちゃんは大好きなケーキを両手で持って、生クリームのついたヒゲをピクピクさせて頬張り、ポッキーはフライドチキンをハフハフといいながら食べた。祭りのクライマックスには電気を消してお祈りをし、しばらく、クリスマスツリーのイルミネーションの明かりの中で厳かな時を過ごした。そんな皆の姿を、彼は静かにじっと見ていた。

今では、その日の写真が彼の最後の姿になってしまった。クラッカーから飛び出したカラフルなテープを体に巻き付け、トンガリ帽子を冠っておどける子供達。ふくちゃんを背中に乗せて、それを愛しそうに見つめる彼はもういない。病に倒れ、天国に召される日、断末魔のような声をあげ、息を弾ませ、這いずって玄関に入り、私の腕に飛び込んできた。仕事に出掛けても其の声が耳に響き、昼休み、職場から車を飛ばし、様子を見に帰った。苦しみも薄らいだかのように見えてはいたが、夕方家に帰り着くと、私の「待っていてね」の言葉を守るかのように、私の腕の中で静かに眠りについた。

次の日、桜の木の根元に、庭に咲くバラの花びらをいっぱい敷き詰め、花びらに埋もれて眠っているかのようなポッキーに、別れを告げた。バラの花のピンクの色は、白黒茶の三毛色をした彼にとても似合って、美しかった。以来、庭にバラの花が咲く頃になるとポッキーを思い出した。ピンクの花びらに包まれて眠る姿から、記憶は、子供達が小さかった頃の楽しい思い出にとつながっていく。そして或る年、蝶が舞っているかのように桜の花びらが舞う庭に、ポッキーの駆ける姿を見た。以来、庭椅子に座り、日溜まりで桜を見上げる私の、季節の彩が少し変わった。

あれから十五年が過ぎた。今、我が家の庭にはもう桜の木は無い。我が家の塀の外側に散る桜の花びらも木の葉も、時代の流れの中で疎まれ、切り倒されることを余儀なくされた。あったはずの木の向こうに広がる空の広さに、私は慣れることが出来ないでいる。私の記憶の中で、桜の木は枝をひろげ、永遠に庭を見おろしていることだろう。


《第4回コンテスト入賞作品一覧(5篇)

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