ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第4回「ペットロス」エッセイコンテスト
入選作品

― 入 選 ―

「ウィルと暮らしたこと」

東京都杉並区
今渕 小弦 (いまぶち こづる) 43歳

 母が亡くなった時、ウィルは8歳だった。集まった兄弟や親戚が去ると、かつて祖父母を含めて7人で暮らしていた大きな家にウィルと私だけが取り残された。母親と同居していたものの、病院勤務の小児科医で当直も多く、散歩のコースも知らなかった私がおずおずとリードをつけるとウィルは大喜びであちこちに連れて行ってくれた。犬を連れて買物ができる商店街や、『お散歩の途中で拾ったのよ』と言って母が食卓に出した銀杏のある神社も近所なのに初めて知った。交差点でふと私の顔を見上げて物問いたげな表情をされると、母を探しているんだと思って不憫だった。出勤するときにはいつまでも吠えているのが聞こえ、逃げるように駅まで走った。ウィルが待っていると思うと1分でも早く家に帰らなくてはと気が急いだ。

転勤ばかりしている弟と海外へ嫁いだ姉と仕事の合間を縫って連絡を取り合い、煩雑な相続の手続きをやっと済ませるのに1年くらいかかり、ウィルも留守番に慣れた。母は1年くらい前に検診で癌が見つかった際、『これでボケる前に死ねるわ』とサバサバ言いながらウィルのことだけを心配した。留守番ばかりになるウィルが遊ぶ庭を荒れ果てさせるなと。私は菜園を作ってみた。肥料もやらない植えっぱなしだが、インゲンマメやナスが結構実り、ウィルが留守番中にかじった。柵を廻らしてみてもウィルには時間がたっぷりあるので、何とか工夫して新鮮な作物にありついた。ネットを使ってみたり、柵の高さを変えてみたり、ウィルとの知恵比べのようで楽しかった。箒を持ち出すと大喜びするので落ち葉も掃くようになった。お盆には迎え火の代わりにウィルと一緒に花火をした。

寒いと犬小屋の中で古い毛布にもぐり込み、暑いと車の下で涼んでいたが、私の足音を聞くと門まで走って来た。ある夏の日に夜遅く仕事から帰ってみるとウィルが勝手口の脇で苦しそうに喘いでいた。置いてあった水の容器がひっくり返っており、脱水だとすぐに気が付いた。あわてて水を飲ませるとすぐ吐いてしまった。膵臓に持病がある子で、母がいた頃に確か2回動物病院に入院したことがあるはずだった。塩水に砂糖を少し入れ、スプーンで一匙ずつ与えながらそれこそ一睡もせず、看病した。朝にはふやかしたドッグフードを少し食べられるようになり、水の容器を3つに増やして出勤したが、一日中落ち着かなかった。ビクビクしながら駅からまた走って帰り、ウィルが飛びついてきてくれた時、母に感謝した。

今年の6月、私は仕事上の試験を受けた。去年合格できず、今年はやり直しだったので勉強に費やす時間も多くなった。ウィルも12歳になり、散歩で私が引きずられるような速さでは走らなくなった。私が寝るベッドに飛び乗るとき、たまに失敗するので、試験が終わったら踏み切りの位置に滑り止めのマットを敷いてあげようと思った。自分の髪を切るのもウィルをトリミングに連れて行くのもすべて試験が終わってからの楽しみにした。試験の2日前、ウィルが急に元気がなくなり、発熱した。出張だった私に代わって遠くに住む弟が急遽休みを取って病院へ連れて行ってくれ、入院した。試験の朝会いに行くと、点滴をしてぐったりしていたが、私を見ると立ち上がろうとしてよろめいた。そして翌日の早朝、ウィルは死んでしまった。

母が亡くなるとき、私は『人の死は順番だから、母がなるべく最期まで楽しく過ごせればいい』と割り切った。そうして母は亡くなる2週間前まで友人と温泉旅行をして幸せだったと考えた。ウィルが先に逝くのも順番だということは初めからわかっていた。けれどひたすら寂しかった。油断すると仕事中でも涙が噴き出した。試験の合格の通知をもらっても、それと引き換えにウィルを死なせたような気がして少しもうれしくなかった。

仕事柄、子どもに先立たれた親御さんに「○○ちゃんはいつも一緒にいるんですよ。」と声をかけることもある。そう自分にも言ってみた。余計涙が出た。「いつまでも悲しんでいると○○ちゃんも悲しいんじゃないかしら。」と励ますこともある。悲しみに変わりはなかった。「○○ちゃんはお父さんとお母さんのところに生まれてきて幸せだったと思いますよ。」ウィルはむしろ私を見守るために3年半母のところへ行かずに留まってくれたのではないだろうか。寂しいけどウィルがいてくれて私は幸せだった。


《第4回コンテスト入賞作品一覧(5篇)

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