ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第4回「ペットロス」エッセイコンテスト
入選作品

― 入 選 ―

「チィがくれた倖せな時間(とき)」

広島県広島市
金広 光枝 (かねひろ みつえ) 49歳

うちの愛猫(あいびょう)、チィが逝って三年、しょっ中チィの夢をみる。その度、何とも言へない倖せな気分で目が覚める。私は早速、母に報告をする。

「チィの夢、みたんよ」

「あら、チィは元気じゃった?」

「ウン、なんでか知らんけど、一緒に泳いだ」

「そりゃ夢じゃもん。私ん所にはなかなか出て来てくれんよ、チィは」

母は少し愚痴ってみせる。

「うらやましいでしょう」

と、私はわざと胸を張る。チィは今でも、しっかりと私達の胸の一画を占めているのである。

チィとは二十二年、暮らした。もとは野良猫のチィだが、訳あって、うちに住みついたのである。近所のおばさんが言うには、チィの母猫というのは大層別嬪さんの飼い猫で、そこに通い詰めたのが近所でも評判の暴れ者のオス猫。体も顔も大きく広いナワバリを持っていたらしい。まるで虎の様な歩き方で自分の土地を見廻り、見知らぬ他猫(よそねこ)がいると有無を言わさず挑み掛かる。その内、もうどんな猫も、このオス猫の姿を認めただけで、早足で逃げ出したという。まるで深窓の令嬢と不良青年の恋、そして生まれた中の一匹がチィだった。チィは母猫の美しさと父猫の勇猛さ、柄を受け継いでいた。メス猫だったがそれでもけんかには滅法強かった。

うちに来て十二~三年は、自分のナワバリを拡げていった。一日に何度も自分の土地を見て廻り、他(よそ)の猫が入りこんでいないか目を光らせた。知らぬ猫がいると、父猫さながら勇敢に向かっていった。猫同士のけんかは、それはすさまじい。カン高い声で唸り、顔をめいっぱい相手に近付けて威嚇する。それが数十分続く事もある。たいていは一方が逃げチィが後を追い、追い払うという事で収拾がつくのだが、その日のチィは珍らしく手こずっていた。相手がチィの倍程もあるオス猫だったのである。しばらく唸り声を上げていたが、相手は一向に引く気配がない。私が追い払っても良いのだが、チィにはチィなりのプライドがあるはずだ。私は黙って台所の窓から様子を見守っていた。

 「ガッ」

という声と共にチィが飛び掛かる。相手のオス猫も同時に飛び空中でぶつかり合った。二度三度と両猫共が飛び激しく縺れ合った。

「あと一回、あと一回で相手のオス猫が引かなければ私が追い払う」

そう決めたのは、やはり、体の大きさの違いを「ズルイ」と思ったからである。いや親馬鹿か。もう一度、両猫共が飛んだ後、オス猫が脱兎の如く逃げ出した。チィが後を追う。自分の土地を出た事を確認するまで追うのだろう。しばらくの後、チィが悠々と帰って来た。「チィ」と呼ぶと、何とも可愛らしい声で「フニャン」となく。さっきまで大きなオス猫と闘っていた同じ猫とは思えない程可憐な声だ。私はチィを抱き上げ、頬ずりをする。

そして

「偉かったね、偉かったね」

とくり返し、誉めた。チィは私の腕の中で、安心したように喉を鳴らしていた。

向う所敵なしのチィも、十二才を過ぎた辺りから、少しずつ見廻りをしなくなった。引退するのだろう、と思った。それでも、我家の庭に入ってくる他猫(よそねこ)には容赦がなかった。その頃から、外ではなく家の中で眠る様に、なった。若い頃は、夕方家の中に入れても、夜になると「出る」とないたものだが、夏は涼しい納屋の土間で、冬は私の枕許(まくらもと)で丸くなって眠る様になったのだ。

チィ

チィを大層可愛がった父が逝った時、チィは家中をなきながら歩き廻り、父を探した。父はもういないと分かると、父がいつも座っていた場所に寝る様になった。父を失った悲しみを、チィも感じているのだと、分かった。

二十才を過ぎても木に登り、歯も揃っていたチィが急に具合が悪くなり、一ヶ月後の十二月二十一日の明け方、鎮かに天へ戻っていった。母と私は声を上げて泣いた。私はチィを抱き何時間も子守唄を歌った。うちのチィが死んだのである。この悲しみが癒える事などないと思った。二十二年である。思い出は山程もある。何を見ても涙があふれた。心の一部が、もっていかれてしまったのだ。

次の年の盆、チィの墓に灯ろうを供えながら、母がチィに語り掛けた。

「チィ、新盆じゃね」

そして私に向き、言った。

「もう泣かんとこ。私らが泣いたらチィが行く所へ行けん。チィを安心させてやろ、天国へ送ってやろうや」

母は静かにチィの墓を、なでた。チィと暮らした二十二年、倖せだった。辛い事があってもチィを見ると心が和んだ。今度は私達がチィに恩返しをする番である。もう泣かない。チィがくれた倖せな時間を思い、その時間に感謝しよう。昨日もチィの夢をみた。チィを抱き上げいつもの様に頬ずりをした。夢から覚めても倖せな気持は続いていた。倖せな時が甦えった様だった。姿はなくとも、この心にチィは今でも、棲(す)んでいるのである。


《第4回コンテスト入賞作品一覧(5篇)

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