ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第4回「ペットロス」エッセイコンテスト
特別賞

― 入 選 ―

「ちくわ」

千葉県市川市
SUN

    *


どうして最期に食べたものがそれだったかはわかりません


たまたま大きな四角い箱に入っていたのがそれであり、15年生きながらえたわたしが口にすることになったのです


やわらなかそれは、咀嚼の悪くなったわたしにも食べやすく、その淡白な味は熱を帯びた体にもすんなりと入っていくのでした


    *


まんまるなひだまりが見慣れた庭をやさしく包み、わたしは目を閉じて、庭の草花の匂いを思い出そうとしました


芝桜が咲いて、紫陽花が色づいて、向日葵が影を作って、コスモスが揺れて、雪の上に牡丹が落ちて、また甘い薄紅の風が吹いて……


夢か現かぼんやりとした記憶の中で自分の意志とは裏腹に、一つ、また一つと体の器官が役目を終えていくのを感じました


――あぁ、これで終わるのか


そう思い、最期の力をふりしぼって目を開きました


もうずいぶんと前から目を患い、瞳は濁り、わたしの世界といったらゆがんでちいさくなっていました


そのとき、ゆがんだ真っ暗な世界の向こうに、はっきりと見たのです


それは、顔を真っ赤にしてわたしの名前を呼ぶ、家族の顔でした


目の前に広がる暗闇の中に、ぽっかりと三人の顔が浮かんでいたのです


それはまるで、暗くて静かな深いトンネルの出口のように見えました


でも、そのトンネルの向こうに戻れないこともちゃんとわかっていたのです



わたしは最期に深く深く、息を吸いました



わたしを呼ぶ大好きな声を胸いっぱいに吸い込んだのです



今でも、あのちいさくて大きな景色を思い出します


わたしはあの世界に何かを残せたのでしょうか



わたしが最期に食べたあれを覗いたら、一体何が見えるのでしょう


きっと、あのときのようなあたたかな景色が見えるに違いありません


    *


家に帰ると、仏壇の横に、小さな祭壇ができていました

その小さな祭壇の上には、行儀よくちくわが並べられていました

こんなにちくわを見て悲しいと思ったことはありません

あなたときたら、最期は本当にちくわしか食べなかったんですもの


その横には主をなくした赤い首輪がコロンと置いてあって

あなたはもうどこにもいないのだと、私はただ泣き崩れるのでした


    *


あなたがいない何度目の春だろう


あなたは今、どの辺にいますか

どれくらいのスピードで歩いていますか

そこからこの場所は見えますか


あなたと歩いた散歩道には

春を告げる草花が

今年もきれいに咲き誇っています


これからどんどんあなたと会えない月日が増えていくことは

あなたが遠くなってしまうようで

少しだけ私の胸を締め付けるけれど

あなたと見た景色を忘れることはきっとできないから


もう触れられないあの温かさを思い出しては、また


 蟠って

 翻って

 蘇って


そんなどうしようもない思いを抱えながら


まるで水たまりに映った景色のように

すくえそうで、すくうことのできない、確かにあったその時間をいとおしみながら


私はまた、歩いていこうと思うよ

あなたがいない何度目の春だろう



あなたが走り抜けたあとのように

やさしい風が草花を揺らして



私は、少しだけ涙ぐみながら

 「いただきます」と、ちくわを頬張った


ちくわ

《第4回コンテスト入賞作品一覧(5篇)

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