ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第1回「ペットロス」エッセイコンテスト
審査員推奨作品

― 審査員推奨作品 ―

『ペットロス』
 立ち直りのきっかけ」

千葉県船橋市
岡崎 博成 (おかざき ひろしげ) 36歳

「ペットロス」という言葉を知ったのは、私がその体験をした後のことでした。どうにかその痛手から回復し、友人らにその気持ちを伝えることができるようになったときに、「それはペットロスというんだよ」と教わったのです。その瞬間、何故か私は少し救われた気がしたのを覚えています。自分の喪失感に「ペットロス」という名前が与えられ、それまでただ漠然と悲しく虚しいだけだった心の置き所をやっと見つけたような気がしたのでした。

セサミ

セサミと名付けた雌の拾い犬を飼っていました。犬種は珍しい琉球犬、茶と黒の虎模様が素敵な中型犬です。とはいえ、子犬のときに拾ってたった一年しか一緒に過ごせなかったため、私の記憶のセサミはいつまでも小さいままです。もともと琉球犬は帰巣本能が弱いという話を聞いたことがあります。そのためだと思って納得しているわけではありませんが、ある夜、私の不注意で完全に閉められていなかった家の門からするりと抜け出し、そして帰ってきませんでした。

やんちゃで言うことを聞かず、飼っているときは本当に叱ってばかりでした。でもそれが急にいなくなって、思い出すのはその逆のことばかりなのです。初めて家に連れてきたとき、部屋の中ではしゃいでものすごいスピードで駆け回りました。それを見てこわがった私の子どもが、必死で高い所によじのぼって逃げようとしていたのも楽しい思い出です。ただ、そのためにセサミは外で飼われることになってしまったのですが。

誰にでもなつく性格で、番犬としての才能もまったくありませんでした。やんちゃでお調子者のくせに、とても臆病でもあったと思います。 夕暮れの散歩どき、大きなヤドカリをふいに見つけて、ツメでアスファルトをカチャカチャいわせて慌てふためいていたこともありました。あの取り乱し様を思い出すといまでも口元がゆるみます。

セサミがいないと気づいた朝、私はすぐに事態を飲み込めませんでした。しかし、半開きになった門、首輪から外れて落ちている紐、そういった事実を見て少しずつ理解していった感じです。すぐに貼り紙をつくり、そこらじゅうに貼りまくりました。避妊手術をしてもらった獣医さんにも貼ってもらったら、そこに通院している友人らからたくさん同情の連絡が入り、励まされたことを覚えています。しかしそのどれも、実は耳に入っていなかったような気がしています。保健所にも何度も電話を入れ、特徴が一致する犬の有無を確かめました。最悪の結末だけは、絶対に避けたかったのです。

貼り紙からの連絡は数件ありましたが、どれもセサミではありませんでした。


よく「ペットも家族の一員」という言い方をします。いなくなって初めてそれを実感するなんて…しかもそれが自分の不注意で、まだ成犬にもなっていない犬を迷い犬にしてしまった。その自責の念は今思い出しても非常に苦しいものです。野犬狩りに捕まってはいないだろうか?食べるものに困ってはいないだろうか?雨風をしのげる場所を見つけているだろうか?悪い飼い主に拾われて虐待されたりしてはいないだろうか…次々にわき上がる不安と、そして何よりも大きかったのが、「セサミはもうここにいない」という喪失感でした。

いなくなった日の夕食。虚ろな気持ちで食卓につき、いつも通りに箸を口へ運ぼうとすると、どうしたわけか手が動きません。手が震えてどうしても止まってしまうのです。あきらめて箸をおくと、ほろほろと自然に涙がこぼれてきて止まらなくなりました。

目の前にいる小さな我が子を見ながら、この子がもし急にいなくなってしまった時もきっと今と同じ喪失感なのだろうと考えました。そう、つらくて当然なのです。それは、家族を失ったのと同じことなのですから。ただその時の私は、そのつらさが一体何なのかをきちんとわかっていなかったように思います。正直なところ、犬が一匹いなくなっただけでここまで悲しい気持ちになるということへの驚きもありました。そしてその驚きの大きさと比例して、後悔していたのです。「あのとき、あんなに叱らなければよかった…」考えても仕方のないことばかり浮かんできました。その日、無理矢理飲み込んだ食事は何の味もしませんでした。

やれるだけのことはすべてやったのが、よかったのかも知れません。ひと月ほどたってようやく、自分の気持ちを人に話せるようになってきました。そこで初めて「ペットロス」という言葉を知ったのです。「そうか、これはペットロスというものだったんだ…」そういう言葉があるということは、世の中に同じ気持ちを経験した人がたくさんいるということだと思い、つらい思いをしているのは決して自分一人だけではないのだと気づきました。それが私の、立ち直りのきっかけです。

セサミ

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