ペットロスエッセイ
ペットロスエッセイ


第1回「ペットロス」エッセイコンテスト
審査員推奨作品

― 審査員推奨作品 ―

「草の波の下に眠れ」

東京都東久留米市
星野 梟月 (ほしの おうる) 25歳

大学四年の冬、実家に住んでいた犬、コロンが死んだ。

コロンはお世辞にも賢い犬ではなかった。僕の実家は目の前に田んぼが広がっていて、コロンの犬小屋は広がる田んぼを一望できる場所にあった。その田んぼの中をまるで目の粗い網のように通っている農道は近所でも人気の散歩コースなのだが、コロンはその農道に人や犬が歩いているのを見るや否や誰彼構わず吠えまくり、挙句の果てには僕ら飼い主が通っても吠えまくっていた。よく僕が農道から田んぼを横切ってコロンに近付くと、それまで吠え続けていたコロンは「しまった」という表情を見せながら吠えるのを止め、次の瞬間には嬉しそうに飛びかってきたものだ。

また、ある時には自分の尻尾を捕まえようと唸り声をあげながら猛スピードでクルクル回り続けた事もあった。余所見をしながら走っていたため、庭に置いてあった自転車にぶつかった事もある。

コロン

そんなコロンがフィラリアという病気にかかり、獣医さんに「短ければ余命半年」と診断された。しかし、コロンは半年経ち、一年経っても死ぬどころかどんどん元気になっていった。僕が学校から帰ってくると、いつものようにコロンが鎖を引きずりながら走ってきて、「遊んで」と言わんばかりに僕の足を前足で掴んで離さなかった。家族全員、コロンが病気であった事も忘れていた。家の庭にはずっとコロンがいるものだとすら思っていた。

だが、姉と僕、そして弟が大学進学で実家を離れ、実家の賑わいが少しずつ失われてゆくのとシンクロするかのように、コロンも弱っていった。僕が帰省をするたびに、コロンの体調は目に見えて悪化していった。上手く歩けなくなり、目が見えなくなり、終いには寝たきりになってしまった。

僕が最後にコロンを見た時には、ご飯もほとんど食べなくなっていた。でも、いつもコロンと遊んだ時のように頭を撫でると、気持ち良さそうに目を細め、頭を僕の手の方に寄せてきた。ああ、こんな状態になっていても神様は触覚だけはコロンに残しておいてくれたんだ。それだけで僕は充分満足して下宿へ戻った。コロンが死んだのはその一ヵ月後だ。

コロンは犬であって人ではない。僕ら家族はコロンを家族の一員として数えてはいたものの、人と犬の間の線引きは時に冷酷なまでにキッチリとしていた。しかし、犬だろうが何だろうが、十六年も同じ場所で生活を共にしてきた者を失うのは僕らにとって辛かった。愛情を感じるのに種の垣根を取り払う必要は無い事を、僕はコロンを失った時に知った。

僕がコロンの訃報を聞いたのは大学だった。知らせを聞いても信じられなかった。だが、数週間後に帰省し、農道を歩いても吠える者は無かった。鎖を引きずる音も、ばつが悪そうに吠えるのを止める者も無かった。あるのは畑の隅の、新しい土の山だけだった。

亡くなったその日はいつもよりお酒を飲んだ母だったが、僕が帰省したときには既に数週間経っていた事もあってか、いつもと同じ母だった。しかし、家にいる事の多い祖母は、誰よりもそばでコロンを可愛がっていたためか、なかなか立ち直れずにいた。まるで体の支柱を引っこ抜かれたかのように気力を失った祖母は、日に何度も畑に埋められたコロンの前に行き、生前コロンが使っていた容器に水を入れては持っていったり、ご飯を供えたりしていた。そして、力の抜けた声で何度もコロンに呼びかけるようになってしまった。その姿を見て母は言った。

「このままじゃ、コロンがおばあちゃんを連れて行ってしまう。」

いろんな都合でしばらく新しい犬を飼わないつもりでいた父と母だったが、その日からペットショップを奔走し、すぐさま新しい子犬を買ってきた。その日から、家族はその新しい子犬の世話にかかりきりになった。最初の頃こそ慣れない環境に怯えていた子犬も、慣れてくるや否やイタズラばかりするため、僕らにはやる事がたくさんあったのだ。特に祖母は嬉しそうに何度も何度も話しかける。手を噛まれても、祖母は笑顔だった。

十六年も我が家の犬にコロンと呼び続けた癖だったからだろうか。子犬の名前はいつのまにかコロンに決まっていた。誰も反対はしなかった。

新しいコロンが実家に来てから、三年以上経った。僕は最近、久しぶりに畑の隅にあるコロンの墓を見に行った。辺りには膝の丈ほどある黄緑色の雑草がそよ風を受けて波打つのが見えるだけで、コロンが埋められた場所がどこだったのかすら分からなくなってしまった。その事を母に言うと、母はこう答えた。

「その方がいいよ。いつまでも気にかけすぎていると、逆にコロンに心配されてかえって成仏できなくなる。普段は忘れているくらいでちょうど良いんだよ。」

散歩ができる喜びのあまり暴れるコロン。そして、そのコロンに文句を言いながらも楽しそうに散歩へ出かける祖母を見ながら、僕は母の言葉が間違っていない事を確信していた。


《第1回コンテスト推奨作品一覧(6篇)

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